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慰安婦問題の大誤報を32年もたって認めた朝日新聞に、国際社会で日本と日本人の名誉回復を求める声が高まっている。ところが、同紙ウェブサイトの英字版を見ても、5、6両日に掲載した特集「慰安婦問題を考える」の英訳記事がなかなか確認できないのだ。一刻も早い「真実の発信」が不可欠のはずだが、一体どうなっているのか。
「朝日が本気なら、赤字覚悟で(検証記事の)国際版を毎日刷り、『強制連行はなかった』『性奴隷(という表現は)はやめて』と世界各国に配信するしかない」
日本維新の会の橋下徹(大阪市長)代表は7日夜、こう述べた。
朝日は、吉田清治氏の「韓国・済州島で200人の朝鮮人女性を強制連行した」といった一連の証言を1982年以来、16回も掲載した。吉田証言は権威付けられ、韓国政府の報告書や、慰安婦を「性奴隷」と認定した国連の「クマラスワミ報告」(96年)にも引用された。
夕刊フジが、朝日にこの件について問い合わせたところ、同社広報部は書面による質問を求めてきた。このため、7項目の質問をFAXすると、5時間以上かかって回答書がきた。
注目の回答書は、「いただいたご質問にまとめて回答します」で始まり、改行後、黒く太いゴシック文字で「お答えは、さし控えます」と続き、再び改行後、「以上です。どうぞよろしくお願いいたします」と書いてあるだけだった。
電話で、回答ができない理由を担当者にたずねても、「さし控えますということです」という答えしか返ってこなかった。
『職業的詐話師』と評された吉田清治さんのコピペ(ほぼWikipediaの内容)
吉田清治(本名:吉田雄兎)別名は東司、栄司
吉田は「元日本軍人」という肩書で公の場に出ていたが、
労務報国会は日本軍とは関係なく詐称である
1913年(大正2年)10月15日産れる
・著書の中では本籍地山口県
・本人曰く福岡県芦屋町西浜
1931年 門司市立商業学校の卒業生名簿に「吉田雄兎」の名があるが
卒業名簿には「死亡」と書かれている
1937年 東京の大学を出て満州国地籍整理局に就職
・朝日新聞によると法政大学卒業
・秦郁彦に対しては法政大学専門部法科中退と述べる
・法政大学の在籍記録には吉田の名は掲載されていない。
1937年(昭和12年)24歳の吉田は金永達(キム・ヨンダル)という20歳の朝鮮人を養子に迎える
・息子の実名は李貞郁(リ・ジョンウク)
・同年、息子は満州に渡って日本人教師と結婚。陸軍に入隊し日支事変で戦死
・「養子にした李貞郁は、戦後は日本人として生活していたので、差別を避けるため
金永達の仮名を用い、戦死していたことにしておいた」(『慰安婦と戦場の性』244頁)
・悲劇的な息子の戦死シーンは完全な創作
・李貞郁は昭17年に妻帯し、昭58年に死亡したと秦氏の質問に答えている
1939年から翌年にかけて中華航空上海支店に勤務した
・1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者がいなかった
1940年6月、吉田は朝鮮独立運動の首領で日本民間人を殺害した金九を
輸送したかどで憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑を受けた
・もし彼が中華航空の社員であったのならば、民間人である吉田が軍人・兵士を対象とする軍法会議にかけられるはずがない
1942年6月に諫早刑務所(別書には南京の刑務所)を出所
・吉田本人は1996年秦郁彦に、金九ではなく中華民国重慶軍の大佐だったと訂正、
罪名は阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白
1942年9月、同郷の先輩の世話で労務報国会下関支部動員部長になった
・中川八洋が2年間刑務所にあった「前科者」が、出所後すぐに内務省系団体の動員部長に任用されることはありえないと指摘
1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選
1977年以降、吉田は戦時中に済州島などで若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、
強制連行したと著書や新聞や講演などで語った。その後、済州島の新聞
「済州新聞」が追跡調査で当時そうした「慰安婦狩り」を島民が聞いた事が
ないという証言を得て吉田証言は事実ではないと報道。その後、秦郁彦らも
追跡調査を行い、同様の結論にいたった。また吉見義明も吉田本人から
創作を交えたことを聞いたため、吉田証言は資料としては用いることができないと確認
スゲえなぁ~ 嘘ばっかりやん